bar Harry's Blog.

下高井戸のbar Harry'sのブログです
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# 休業のお知らせ

東京都のロードマップが変更されて接待を伴いバーも引き続き休業となりました。大変厳しい状況ですが再開の際には宜しくお願い致します。


| comments(1) | - | 23:51 | category: - |
# 月齢1.4の月と低くなった宵の明星


今日は金星が見えないなぁと不思議に思っていたら予想よりも遥か低空に移動していた。おかげで新月翌日の細い月まで見ることが出来た。高いビルの都会では多くの人が気づかずに沈んでしまうこの光景に何となく得した気持ちになった。 小針



| comments(1) | - | 19:46 | category: |
# 酒燗器


昭和の器具ですが現役バリバリです。温度も調節可能で設定温度に達するとライトが消えて加熱も止まり、冷めると自動的に温め始めます。レトロなデザインと安心感のある灯でとても気に入っています。 小針



| comments(1) | - | 11:06 | category: drink |
# 無題


| comments(0) | - | 10:58 | category: - |
# 楽しい論理学


飯吉です。今日、古本屋で購入しました。何か興味を持った事柄について書かれている本を集めていくと、ある問題、というほどのことでもありませんが、あることが起こります。


本に書かれている内容が被っていることに気付き始めます。当たり前といえば当たり前のことですが、それだとどうにも読んでいて新しい何かを知れた、という知的欲求が満たされた形とはなりません。


そのため私はある時から、私の好きなウィトゲンシュタインについて書かれた本を見つけても、無闇矢鱈に買うのは控えてきました。


ですが、写真のその本は、冒頭を読んでみたところかなり偏った内容みたいなので、面白そうだと思い即買いしました。


よくよく考えてみれば、ウィトゲンシュタインは相当な変人ですよ(いい意味で)


思想そのものも変態的ですが、テキストのスタイルも変態的です。それを好む者もやはりどこか変態的で、更にそれについての本を出版してしまうような人は尚更変態的と言えましょう。


こういう、変なレトリックを駆使されて書かれた文章は、単に物語を読んだり、新しい知識に触れるのとは別の満足感を読者に与えてくれます。


以前も書きましたが、ウィトゲンシュタインは悩みを解決してくれるタイプの思想ではなくて、悩みそのものを消し去る思想です。



アリストテレスから始まる形式論理学を記号論理学にまで洗練させた西洋ならではの、韓非子とかにはないエッセンスです。


飯吉

| comments(0) | - | 15:06 | category: - |
# 母の日

| comments(1) | - | 17:24 | category: - |
# アーレント


飯吉です。最近カミュが流行っていることに便乗しましてね、私は流行るその前から、カミュいいよ、カミュいいよ、と言い続けてきたと、そういうスタンスでカミュのことをこのブログにアップしてきましたけどね・・・・・・・。



今日はカミュについてではなくて、写真のその人、ハンナ・アーレントというオバ様(その写真は本人ではなく映画化された時の女優)についてです。カミュが流行って、その次に流行るのはこのアーレントというオバ様であると、飯吉は言いたいんですけれども、流行らなかったその時は、お前は馬鹿野郎だと言いに来て下さい、レイに。



あまり、ディープな話題には触れませんが、今、世界は未曾有の事態に直面し、いろいろと今までとは変わってしまうんだろうな、と考えている方々も多いことと存じます。それに伴い、アーレントの思想に目を向けるのは頗る有意義であると、私は断言します。断言しますけれどもただ、有意義だから流行る、というのは根拠薄弱なので、多分流行りはしないでしょう。


前のブログでも触れましたが、私が勝手に「暴き系」と呼んでいる、真実を暴くタイプの学者です。だからファンなんですよ私は。


知って得する、タイプではなくて、知った後、それは皆様の問題ですから、皆様が考えて下さいよ、と、読者を突き放すような感じがこのアーレントというオバ様にもあるのです。答えなんてない、一生悩み続けろ! と、背中を引っ叩いてくれる、古き良き母の像のようなものがある思想家、にもかかわらず、その分析は怜悧極まるものです。そのギャップがいいのかもしれません。


今こそアーレントを読み返してみてはいかがでしょう?


飯吉










| comments(0) | - | 03:57 | category: - |
# 蘇る駄文、暇すぎる人以外読むの厳禁

飯吉です。


ブログに、ロシア文学に出てくる飲んだくれが語るみたいに、長々と、綴られた私の駄文が、エラーにより風の前の塵と化したことを以前ブログにも書きました。


その件に関して、お客様方から、温かい声を頂きましてね。エラーで消えた内容をここに再現してみようとさっき思いつきました。


主題はカミュとサルトルの論争についてでした。


実は私、好きな作家がいるとその人の小説は読むんですけどね、エッセイだとかそういった類のものは殆ど読まないんですよ。餅は餅屋、思想的なものはあくまで思想家という肩書きをもった人の手によって、なんていう偏見をもっているわけではないけれども、なんとなく、読まないんですよ。


ですから、アルベール・カミュという渋いおじさまが直接主張している文章も殆ど読んだことないんです。


しかし、今回読み始めた感想(まだ読み終わってはない)


改めて驚かされましたね。時代に流されず真実を見通す目を確かにこのカミュというおじさまは持っていたに違いない、私は哲学なり思想なりにかぶれる人間には大きくわけて2パターンあると考えていましてね。


パターン1は、既に自分が考えていることの正当性の根拠を演繹的に見出したいというタイプ。


パターン2は、既知の情報なんてどうでもいいから、さっきまで自分が信じていたことなんてどうでもいいから、ただひたすら、真実としか寝ないよ、というタイプ。


私は後者のことを「暴き系」と勝手に呼んでいましてね。そう、カミュというおじさまもまた、暴き系に他ならないのです。あの時代にマルキシズムに対する明晰かつ判明な指摘

(ラッセルやウェーバーとも通ずる)


当時もインテリ達が何を求めて論争を繰り広げていたのかといえば、物凄く雑な言い方をするなら「人間の自由」である。

自由、それはカミュにとっても大きなテーマであったことは、以前ブログにも書きました。では、カミュのいう自由とはいかなるものか?


近代思想の祖といえばまずジョン・ロックであろう。ロックなくして(あとキリスト教)アメリカ独立も中世の革命も起こり得なかったといっても過言ではない。ロックのいう、いわゆる人間の自然状態とは、人間は生まれながらにして、命、身体、自由、を所有する。という前提から社会を考える(ここでいう自由とは、契約するかしないかの自由、それを皆が持っているから平等という意味、決して皆好き放題やっていいとか、皆同じように扱われるべき、という意味ではない)


この、ロックの前提に立つのが、いわゆる古典経済学のスミスでありリカードであり、そしてマルキストである。本来人間はもっと自由でいいんだと、しかしそれを疎外する社会なら、その制度を変えようというのが彼等の主張である。


自由、そもそも自由とは? 様々な考え方が存在する。


古代ローマでは教養を身につけて他人と接していくうちに他人と自分との差別化がはかれ自我も形成され自由人になる、それを復活させようとしたのがルネサンス。また宗教者、ルターやカルヴァンなら人間の自由意志は認めない(神の意志だから)


サルトル実存主義なら認める。後の構造主義なら認めない。


果たしてカミュは?



恐らくカミュはアプリオリ(生得的な)を認めていないのではなかろうか? 生まれながらに持っているものはない、だからその後どう生きるかは自由、というのはサルトルの主張だが、カミュの場合あらゆる必然を否定していると思われるから、生まれながらに決まっていること、も認めないけど、生まれてから何をやっても、別に何者にもなれないし、それでも1人ボートを漕いでる内に沖まで来てしまいました、みたいな考え方ではなかろうか?


社会から個人が自由になる、というのには賛成だが、社会がなくなったからといって、もともと人間はそんなに自由じゃないよ。というところだろうか?


そしてそのような考え方をカミュの作品に写し見ると・・・・・・「異邦人」では、個人の精神に国家が介入できないという、近代的中性国家(政教分離が制度化されている国家)あくまで、「社会」から自由になる物語。では、社会から自由になった末に行き着く先は・・・・・・恐らく、カミュが推奨するのは田舎での隠居生活である。



まさかここまでごちゃごちゃと書いておいて、行き着く先がそれなのである。彼の死後出版された「幸福な死」は、彼の作品の多くのテーマが詰め込まれた(但し初期に書きたいことを書きまくった感のある未完成品なので内容にまとまりがない)カミュの思想を探る上での貴重な資料である。


その中で、主人公は社会から逃れ、田舎で隠居生活をし、大自然と一体化すること(日光浴とか水泳とか)で真の幸福へと近づいていく。ソロー、森の生活宜しく! といった感じである。



この結論に対して、皆様はどう思うでしょうか?


田舎での隠居生活。








| comments(0) | - | 12:04 | category: - |
# 暇すぎる人しか読まないで下さい。


飯吉です。私は今、あらゆる状況を参酌した結果、自室にてラム酒のパインジュース割りを飲んでいる・・・・・・つまりは、なんとなく寝付けず、家にある限られた選択肢の中で飲酒を楽しんでいる。



つい先日、ブログにカミュとサルトルの論争についての記事を書いていたら、いわゆるアクシデント、エラーが発生し、私の書いた駄文は無残にも消えた。完成していればそれは恐らく駄文中の駄文になったに違いない。それを改めて書こうとは思わない。言葉とは、文法とは、いな、あらゆる言語活動は生成されたその場で語り手の心理状態が決まるものだと私は思っているので(かなりソシュール的な思想)つまりは予め考えていたことを、そっくりそのまま言語化して自分の外部に発表しているわけではない、とする考え方なのである。


同時にまた、読み手の感想というのも、それはそれで1つの恣意的な真実なのである。年頃の男女が映画を観た帰りにBARに寄って、先程観た映画の解釈について「あっ、あのシーンああだったよねっ!?」と語る時に、そのシーンの貴方の解釈は作者の意図するところじゃないですよ、という反駁はさして意味をなさない何故なら、言葉、情報というものの本質的性質がそうだからである。ある情報について誰かが解釈すると同時に、まるで上乗せされるように、その解釈も1つの事象として存在する。同じものを見ても、人それぞれ感想が違う。ではその、同じもの、が意味する内容は人それぞれの意見によって決定するのか? というと、そうでもなく、その、それぞれの意見というものが、あたかも老舗の秘伝のタレかの如く、どんどんどんどんその事象がもつ意味の深めていくとでもいうべきか・・・・・・つまりは、卵が先か? ヒヨコが先か? ではなくて、卵とヒヨコが同時に生まれているという考え方、「相互連関」であるとか、「スパイラル構造」などと言われるそうだが、卵が先か? ヒヨコが先か? という命題の立て方自体が落とし穴で、どっちも同時に存在する、という思考法なのである。卵とヒヨコが互いに影響しあいながら、持ちつ持たれつしているイメージだろうか。グレイゾーンという言葉があるが、まさにそれである。白黒ハッキリ分けたがるのは二分法的二元論的であり、ヨーロッパ的伝統である。日本的伝統は階層的である。百ゼロではなくて、段階的に、いっぱい種類があってもいいじゃん、と捉える。両者共一長一短で、二元論的な思考は、長らくヨーロッパで続いた後に、いやそうではないと学説が変わり今日に至る。が、そういった二元論的な思考の元でヨーロッパの社会制度が作り上げられてきたという歴史も事実で、しかもそれが優れていたりして、それ自体がもう矛盾の塊のようなものだ。



これにて、冒頭に書いた、つい先日書いたカミュとサルトルの論争に関する駄文、それを超える駄文が、今ここに完成しました。



飯吉




| comments(0) | - | 04:24 | category: - |
# 唯の状況


もう少しで出来上がります。店内は決して広くはありませんが、こだわって作り上げてみたいと思っています。カウンター7席、テーブル5席です。営業時間は午後5時から深夜2時の予定です。正式なオープンは緊急事態宣言を考慮して決定しますが、その日に備えて毎日お店で準備しています。 小針



| comments(2) | - | 07:57 | category: その他 |
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