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# 振り向いてみただけの



飯吉です。


フランスの哲学者ジャンポール・サルトルは不意にこう考えたと伝えられています。


「飢えた子を前に文学は何ができるか?」


そしてその問いに対する彼の帰結は、文学の影響で社会が変化して最終的に子供が飢えない社会になる、というものでした。そんなサルトルの元盟友、アルベール・カミュの本が、今まさに未曾有の社会情勢の中、人々の注目を集めています。それ以前から私は、「カミュは素晴らしい」と時折熱っぽく語ってきました。するとお客様からカミュを読んでみたいという声があり、今日はブログでカミュの代表作である「異邦人」の魅力を、ネタバレにならないようにしつつ、書いてみたいと思います。長くなります。



まず主人公のムルソーという青年、とても厭世的でニヒリスティクな男です。ただ、今で言うところの「非リア充」ではありません。彼女も友達もいますし、ちゃんと生活できてます。そんな彼がひょんなことから揉め事に巻き込まれ、大罪を犯してしまいます。


当然裁判にかけられます。神父様から、反省しなさいと言われます。が、彼は反省しません。ここがこの物語の肝です。主人公は確かに罪を犯し、その報いとして社会的ルールに基づいた制裁を受けることには何ら異論を持たないしかし! 反省することを強要するのはおかしい、おかしいというか、不可能ではなかろうか? と世界に問いかけているのです。


それまでの世界観からすると、キリスト教という「ルール」があるから、あっコレはルール違反だからいけないことなんだ! と反省できるのですが、それがなくなった世界、つまり神を信じない人々の世界では誰がどうやって人を裁けるのか? 裁くことは可能か? というのがこの作品のメインテーマです(カミュ以前にもドストエフスキーが描いている)


そう、ムルソーというニヒリストには、「信仰」がないのです。言い換えれば「必然を認めない態度」とも言えましょう。必然の典型・運命(キリスト教だと予定説)または、こうしたからこうなったという原因と結果(仏教だと因果律)、もっと言えばフロイトの精神分析や、サルトルの実存主義、つまり、こういうことをしたから私はこういう人間です、という理由の後付けすら認めていないように私には思われます。


そしてそれらは、カミュ以外でも、ニーチェや、ヒュームや、ソシュールや、ウィトゲンシュタインがや、御釈迦様、などなどが見抜いていたように思われるもので、更には20世紀の大きな科学の転換期にゲーデルやアインシュタインやシュレディンガーやアローなどなどが続々とデモンストレートまでしてしまった1つの真実です。



そんなふうに言われると、ムルソーって暗くて嫌な奴だな、と感じられる方も多いことでしょう。ただ、彼は正直な男なんですよ。正直すぎるぐらい正直で、恐らく彼は、上記の欺瞞の衣を纏うことを拒否し、彼が生の喜びを感じる瞬間というのは、「より真実らしいもの」に近づけた時なのではないでしょうか? だから裁判でも自分に不利になる証言も平気でします。コレが真実、裁きたきゃ捌け、でも反省の強要、精神の自由を奪うな、奪いたいなら根拠を示せ、といった態度を取り続けます。まさに、俺は真実へと歩いてゆくー!


そう、この「自由」というのもカミュの大きなテーマです。この裁判にしたって、人間の作為による極めて恣意的な制度ですから、1個人がそこから自由になってやろうという主人公の試みでしょう。



このように、不条理の哲学と呼ばれるカミュの思想も、言い換えれば「偏見はよそうよ」という考えだと私は思います。不条理とは条理の反対ですね。では条理の定義は? こうなるべき、という先程も触れた予定や因果の類がちゃんと守られている、という人々の実感であると言えましょう。それはあくまで人間の心理状態であって、実際にそれが自然界に転がっていないのなら、不条理こそ条理(芥川龍之介、侏儒の言葉より)ということになるまいか、とカミュは言いたいのではないでしょうか?



私はカミュの思想は、非常に寛大で優しいものだと思います。ロランバルトという言語学者はカミュの文体を絶賛しています。その理由は、詳しく書くと更に長くなるので簡単に言うならば、読者に押し付けがましくない、こう解釈して読んでください、という圧がない、まるで他人事のような俯瞰的不感的文章なのです。


自由と真実を愛したカミュは、革命のために軍事力を行使することを否定し、盟友であったサルトルから絶縁宣言され、世間からも非国民扱いされます。ただ、どちらが正しかったか、後の歴史が証明してくれました。


確かニーチェにもそういったことがありました。周囲のインテリ達が某思想にかぶれて血気盛んへと化していく最中も、彼は冷静に、世界の趨勢を見極めていたのです。真実の尻尾を掴んだ男達はかくも預言者たるのでしょう。



といった感じで、私はカミュを尊敬しています。散文的ですみませんでした。皆様も、こういった時勢柄、流行ってますし家でカミュを読んでみてはいかがでしょう?




振り向いて見ただけの異邦人・飯吉









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